[ 幸町 小狐丸の山車 ]
札の辻(ふだのつじ)の、北の方角から、菅原町の「道真(みちざね)の山車」が、ちょうど今、曳かれてきたところです。
大勢の聴衆を引き連れて、足の踏み場もなく、通りは人の波で溢れかえります。
よく見ると、菅原町の山車(だし)には、踊り手の姿が見当たりません。
それもそのはず、仰向けに寝て、両足だけを器用に操り踊る、南田島の足踊り(あしおどり)が、演じられていたからです。
今度、機会があれば紹介しておきましょう。こちら→
[ 気になる木札 作人札とも呼ばれ ]
囃子台の勾欄に下げられた いくつもの由緒ある木札
左の端の木札(きふだ)には、「法橋 原舟月 作」の銘が見られます。
「法橋(ほっきょう)」は位を示し、「原 舟月 (はら しゅうげつ)」によって、山車、もしくは人形「宗近(むねちか)」が、納められたことを示しています。
[ 屈強な背中 染め抜かれた町名 ]
「幸」の一文字が記された 印半纏
川越で、一二を競うとも語られる、この豪華で大きな山車は、明治三(1870)年、旧鍛冶町(かじまち)の人々により造られています。
欄干(らんかん)仕立ての、囃子台(はやしだい)の上部には、三羽の見ごたえのある、鳳凰(ほうおう)の彫刻が置かれます。
|