[ 芸者横丁 ]
この横丁(よこちょう)の存在を教えてくれたのは、レトロな雰囲気の、ちょっとばかりみすぼらしい、壊れかけの錆の浮き出た看板でした。
店名を並べただけの、簡素な造りのありきたりのものでしたが、わたしには、十分な訴求の効果をもたらしました。
そこはかとなく漂う、虚ろな空気を従えて、その横丁は看板の奥に路を一本延ばしています。
横丁を利用して 夕方時には 下校の学生たちが帰路を急ぎます
かつて、元町のこの界隈も含め、他の地の歓楽街と同様に川越の一角でも、花街(かがい)として栄える華やかなりし時代があり、隆盛時には100人ほどの芸妓衆(げいぎしゅう)が身を寄せていたと伝え聞きました。
こちらの「芸者横丁(げいしゃよこちょう)」や、その突き当たりに交わる「裏宿通り(うらじゅくどおり)」辺りにも、数軒の芸妓置屋(げいぎおきや)が置かれていたと知らされます。
川越における、花柳界(かりゅうかい)の成り立ちや、衰退へとたどるいきさつには詳しくはありませんが、ひもとけば、埼玉県では明治8年には、遊郭(ゆうかく)を全廃する廃娼(はいしょう)が敷かれています。
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