[ 元町二丁目 山王の山車 ]
川越藩が栄えた頃の城下では、整備を目的とした町割りが、十ヵ町(じっかちょう)として設けられています。
[ 川越まつり 藩の時代の旧町名 ]
![十ヵ町](../../../../img_map/map01mt/map01mt_10machi4monzen01.jpg)
札の辻あたりを中心に、商人町の上五ヵ町(かみごかちょう)、職人町の下五ヵ町、他に数町が加えられました。
山王(さんのう)の山車(だし)は、その上五ヵ町に名を連ねていた高澤町(たかざわまち)によって、明治4(1871)年に制作されたものです。
[ 川越まつり 山車を持つ主な町 旧町名 ]
![現在の川越の町](../../../../img_map/map01mt/map01mt_chomei01.jpg)
[ 山王の山車 せいご台には 町紋とおぼしき装飾が ]
![川越まつり 元町二丁目 山王の山車](../../../../img_tp01ph_mt/03kw/02ds/09mtm02/09mtm02_ds06a_2012_m.jpg)
せいご台に彫られた紋は「高」の一文字のようにも伺えます
[ 川越まつり 山車の主な構造 せいご台 ]
![川越まつり 山車の構造図](../../../../img_map/map01mt/map01mt_dashi02kozo.jpg)
高澤町の山車は、幸いにして、川越大火による災いをまぬがれています。
この古い形の山車が、町に残されたことは、
当時の祭りを知るうえにおいても大切な資料として、語り継がれるに違いありません。
[ 印半纏には 葛西囃子の文字が染め抜かれて ]
![川越まつり 元町二丁目 山王の山車](../../../../img_tp01ph_mt/03kw/02ds/09mtm02/09mtm02_ds00b_bs_m.jpg)
流派は葛西囃子 菊元会の半纏にもその名が染め抜かれました
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